もうまんたい@統合失調症チラ裏ブログ

統合失調症寛解済み?考えてる事を書くブログ。

相模原の事件と、障害者への愛情。

障害者として、この事件は、他人事ではありません。

 

相模原の事件、犯人の精神鑑定結果、出たそうな。

 

自己愛性パーソナリティ障害。

を含む諸々の人格障害

 

これらは刑事責任ある、と判断できるみたいです。

 

そらそうでしょ。

あんだけのことしといて、精神疾患で罪が軽くなるとか有り得ない。

 

 

犯人さんは、

少なくとも人格の障害や考え方の歪みはあるものの、精神疾患までの程ではなく、

つまり

 

正気で、

本気で、

障害者を社会的に不要と感じて、

殺害までしたと。

 

純粋に、ただ、怖いですね。

 

この事件、個人的に、他人事とは思えませんでした。

何故なら、私だって、種類は違えど、障害者だからです。

精神障害者です。

障害者は社会的に不要とする、犯人の思いは、社会の大多数の思い。暗黙の了解みたいなものを具現化したようにしか考えられませんでした。

 

障害者、社会の足をひっぱる存在。

健常者はそれゆえ、障害者を邪魔扱いする。

 

でも考えて見て下さいな。

だれだって病気になる。

歳をとる。

その結果、社会的に足をひっぱる存在になる事はあるでしょう。

 

身体障害。知的障害、精神障害

高齢者だと、認知症とかも。

 

わかりやすい例えを言うと、

貴方は、高齢になった親が認知症に、なったからといって、

すぐに見捨てますか。

社会の、自分の足をひっぱる存在になったとて、すぐに見捨てますか。

実際、施設に預けられたまま、ほとんど顧みられない高齢者はいます。

一方で、認知が進んでも、大切にされている高齢者もいる。

 

この差は何か?

理解と、愛情ですよ。

 

家族、周りの理解。

 

そして愛情。

その人との関係性。

それを大事にするかどうか。

 

どんな状態になっても、その人を見捨てないか。

 

これです。

 

理解と愛情は、別々だけど、セットなんですよね。

 

 

どちらも、社会的と、家族的なものに分けて考えるとわかりやすい。

認知症に対する、

社会的な理解と、家族的な理解。

最近は、テレビでも認知症を扱ったり、理解を深めようとしていると思います。

家族としての理解は、もっと個別のことになりますね。

認知症という病を理解しようとする姿勢、とか。

 

一方、

認知症に対する、社会的な愛情と、家族的な愛情。

家族的はわかりますね。

認知症になっても、その家族を愛し続けるという。

 

一方、認知症に対する、社会的な愛情…

なにそれ。

認知症に対する、社会的な愛情って、そんなもんあります???

 

ないです。

定義も謎です。

 

いいえ、作らないといけません。

認知症に対する、社会的な愛情。

 

認知症の人が快く過ごせるには、

それが、不可欠です。

 

愛情とは、寛容です。許す。

 

家族的な愛情は、家族が認知症になっても、許し、愛す。

社会的な愛情は、誰か認知症になった他人がいたとしても、許すことなんじゃないでしょうか。

あの人は、認知症だから、仕方ない、許そう。って。

 

認知症に対する、理解と愛情。

 

この二つが合わさって初めて、受け入れられるのです。

家族において、受け入れられているパターンは、この二つが揃っています。

 

社会も同じです。理解と愛情(許し)。

 

この、認知症の部分を障害者に当てはめて考えてみて下さい。

 

これらを社会に拡げる事で、こんな事件は防げるのではないでしょうか。

 

話がそれましたが、

 

つまり、この事件によって

私は、社会の障害者に対する無理解と愛情の無さが露呈したように思ったのです。

 

そしてそれは、全ての社会的弱者を脅かす警鐘に思えてならないのです。

 

 

今後、こんな事件が起きないことを祈ります。。。

 

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