もうまんたい@統合失調症チラ裏ブログ

統合失調症寛解済み?考えてる事を書くブログ。

【統合失調症】区別と、差別。本質的には同じ。

統合失調症に対しての区別と、差別って、どう違うのでしょう。

 

辞書には、

差別:ある基準に基づいて,差をつけて区別すること

区別:あるものと他のものとが違っていると判断して分けること

 

とあります。

 

では、統合失調症者が差別されている、と感じる瞬間って、何でしょう。

仕事。恋愛。結婚。友人。

常に、潜んでいます。

 

あの人、アタマオカシイみたいよ。

 

と言われるリスクが。

 

それは、区別でしょうか?差別でしょうか?

 

では、一つ一つのケースで見てみましょう。

①仕事。

◎差別だと仮定すると。

差別です。ほかの人と同じように、働いて、お金をもらう権利があります。

◎区別だと仮定すると。

区別です。いきなり休まれたり、仕事ができなかったり、仕事を一緒にする上で弊害があります。

 

②結婚

◎差別だと仮定すると。

差別です。好きな人と結婚して、子供が持ちたい。それを、病気が理由で断るのは差別です。

◎区別だと仮定すると。

区別です。うちの家族に頭がオカシイ人が入る事で、家庭環境が悪化します。子供にも遺伝するかもしれない。なにより、あなたが悪くなったら、面倒を見るのは私たちです。

 

③恋愛・友人

◎差別だと仮定すると。

差別です。人並みに恋愛したいし、人付き合いもしたい。病気が理由で拒否するなら、それは差別です。

◎区別だと仮定すると。

区別です。言っていることが訳が分からない。理解できない。気持ち悪い。そんな人と付き合いたくない。

 

こんな感じですかね。

 

思ったんですが、

差別だと思う人は障碍者側、区別だと思う人は健常者側の意見になります。

 

区別だと思う意見って、結局健常者のホンネなんですよね。

こっちに来るな、関わるなっていう。それこそ、区別したい。

それに対して、障碍者側がそちらの側に入れてくれ、まともな社会生活を送らせてくれ、って言っている。

 

仕事、結婚、恋愛、友人。

これらはすべて社会生活を送るうえで重要です。というか、社会生活そのものと言っていい。

そこから排除して、健常者だけの社会を作りたいのが健常者。

その輪の中に、入りたいのが障碍者。というか、その輪の中から弾き飛ばされている、もしくはうまく入れなかったのが、障碍者

うまく入れなかったけど、ちょっと良くなって健常者の中に入れて下さい、って意識をもってアクションすると、差別・もしくは区別の憂き目にあう。

アクションしなければ、障碍者の輪の中にいれば、そもそも差別や区別されているという実感すらない。されるのだろうな、という推論はできるけど。

 

差別も、区別も、立場が違う人が、違う言葉で言っているだけで、本質的には同じものです。

みんな違って、みんないい。

なんて、お為ごかしなんでしょう。

 

どんな人にも立場があって、違う意見を持っている。

そして、常に大多数の意見が通る。そんな社会なのです。

統合失調症者は、マイノリティです。

しかし、マジョリティになってもいけません。

社会が成り立たなくなる。

 

だから、ずっと差別され続けるしかない。

だって、人間の社会は健常者が動かしているのだもの。

常に、地に顔をつけ、泥にまみれ、上を見るしかない。

くやしいですが、それが現実です。

 

差別も区別も、同じもの。

結局、統合失調症者は、差別される立場にあるのです。

病気になった時点で、負けってことですね。

でも、限りなく良くなって、擬態して生きればチャンスはあります。

それが寛解かと。

 

皆さん頑張りましょう。

 

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