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もうまんたい@統合失調症チラ裏ブログ

統合失調症寛解済み?考えてる事を書くブログ。

統合失調症者は自意識過剰?【統合失調症】

何でかは分からないが、 周りが気になる。

正確には、周りからみた自分像 というものを気にしている。 それも過度に。

これが幻聴や妄想に繋がるのではないかと思った。

根拠としては、

先日、周りが気になる事で、妄想や幻聴の知覚に繋がるのではないかと思いついた。

つまり、自意識過剰が症状に繋がってるのでは?と。

私の幻聴は、私のやる事に対して評価をする、というものだった。

いい、悪い、すごい、キモイ。可愛い、キモイ。 これが進行していって、もっと長い文章で私を詰っていったのだけれど、今は、それはさて置いておく。

問題は、なんでそんな風に聞こえるのか。

幻聴は、他人が言っているように聞こえるけれど、ホントは自分が考えてる事。

つまり、自分で自分を詰っている、褒めている。

要は心の声=幻聴

なんでこんな思考に至るのか?

他人に言われたい事や言われたく無いことを無意識に考えるから

つまり、周りを気にしているから。 周りからみた自分を過度に気にしているから。

かなぁ。

何かしてて、これって、周りからみたらキモイのかなぁと思えば"キモイ"。 周りからみてて凄いのかなぁと思えば"スゴイ"。

と、言うふうに思う事で、 心の声=幻聴が聞こえる、

という風になってしまうのではないかと。

だから、幻聴を聞こえないようにするには、

周りからみた自分を意識しないこと

要は

自意識過剰を辞めてみよう、

って事にあるのかなと。

考えてみれば、昔から自意識過剰だった。

オドオドしてた。

だから、堂々と、周りを気にせずに、自分の意見を言ってみる訓練からしてみて、

今はマシだと思う。

まぁ、自分が統合失調症っていう事実は変わらないけど、現状、ちょっとでも良くなれば、と。

そんな感じでした。

ぽちっとされますか?

 

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謎の張り合い。

私は、無意識に上司と張り合ってたのかもしれない。

同じような歳の、同じような職種で。

意見合うことも多いが、 性格は真逆。

私の言いたい事を、ズバズバ言う。 言いたくて、でも上手く言えなくて黙っている事を。

嫉妬していたのかもしれない。

自分には出来ない事をして、 そして、私には出来ない人生を送っているから。

私だって、真人間的に産まれたかった。

なんで病気なんだろとか。 なんで他人に迷惑ばっか掛けてるんだろとか。

迷惑かけないように、粛々と生きると決めて、 自我を抑えてひょろひょろと生きる。 いつの間にか、それがスタンスになっていた。

言いたい事我慢して、 でも我慢しすぎたらまた悪化するから 適度に言って。 でも言うことで揉めるなら言いたくないとか。

そんな事考えて。

張り合ったって仕方ないのに、 何故かいつの間にか張り合ってたようだ。

張り合うまでもない。 私は完敗だ。

遺伝子レベルで負けてる。 だって私は病気だからね。

病気でない人と比べたら雲泥の差だ。

でも、負けてると自覚すると凄く楽だ。

負けてないと思って、勝とうとすると、しんどい。 だって、ホントには勝てないから。 負け続ける勝負を、常に挑み続けで、常に負け続ける。

しんどかった。

自覚してなかったから、謎のしんどさだった。

でもこれからは違う。 しんどさも自覚できるし、勝負に出ないから、負ける事もない。

これはある意味勝利だ。

上司に勝ったんじゃない。

自分自身に勝ったのだ。 小さな事を気にしてくよくよしている、自分自身に勝ったのだ。

皆さんには小さな1歩でしょうが、私にとっては大きな1歩、気づきでした。

まぁ、そんな事言っても、遺伝子レベルで負けてる事実は変わらないんですけどねʕ•ᴥ•ʔ

うへぇ

ぽちっとされると励みます。

 

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はてなブログに移転した件

移転しました。

 

変遷を書くと、

はてなブログ

wordpress

 

はてなブログ←イマココ!

 

という訳です。

 

当分は動かないかと。

 

なんで、こんな事してるかってーと、

 

かぶれたのです。

ブログ道とやらに。

 

おっと意味が分からなくて混乱するかもしれない。

 

言いたい事は一つ。

 

アクセス数を気にするはもう辞めよう。

アクセス数を気にして、ブログするならやっぱwordpress!!

とかって、かぶれた真似をするのは辞めよう。

 

なんか、そんな事がいいたかった気がする。。。

違う気もしますが。

 

熱心な更新はしない方針。

だって、かぶれないからね。

 

気が向いたら更新。

そんな感じ。

 

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相模原の事件と、障害者への愛情。

障害者として、この事件は、他人事ではありません。

 

相模原の事件、犯人の精神鑑定結果、出たそうな。

 

自己愛性パーソナリティ障害。

を含む諸々の人格障害

 

これらは刑事責任ある、と判断できるみたいです。

 

そらそうでしょ。

あんだけのことしといて、精神疾患で罪が軽くなるとか有り得ない。

 

 

犯人さんは、

少なくとも人格の障害や考え方の歪みはあるものの、精神疾患までの程ではなく、

つまり

 

正気で、

本気で、

障害者を社会的に不要と感じて、

殺害までしたと。

 

純粋に、ただ、怖いですね。

 

この事件、個人的に、他人事とは思えませんでした。

何故なら、私だって、種類は違えど、障害者だからです。

精神障害者です。

障害者は社会的に不要とする、犯人の思いは、社会の大多数の思い。暗黙の了解みたいなものを具現化したようにしか考えられませんでした。

 

障害者、社会の足をひっぱる存在。

健常者はそれゆえ、障害者を邪魔扱いする。

 

でも考えて見て下さいな。

だれだって病気になる。

歳をとる。

その結果、社会的に足をひっぱる存在になる事はあるでしょう。

 

身体障害。知的障害、精神障害

高齢者だと、認知症とかも。

 

わかりやすい例えを言うと、

貴方は、高齢になった親が認知症に、なったからといって、

すぐに見捨てますか。

社会の、自分の足をひっぱる存在になったとて、すぐに見捨てますか。

実際、施設に預けられたまま、ほとんど顧みられない高齢者はいます。

一方で、認知が進んでも、大切にされている高齢者もいる。

 

この差は何か?

理解と、愛情ですよ。

 

家族、周りの理解。

 

そして愛情。

その人との関係性。

それを大事にするかどうか。

 

どんな状態になっても、その人を見捨てないか。

 

これです。

 

理解と愛情は、別々だけど、セットなんですよね。

 

 

どちらも、社会的と、家族的なものに分けて考えるとわかりやすい。

認知症に対する、

社会的な理解と、家族的な理解。

最近は、テレビでも認知症を扱ったり、理解を深めようとしていると思います。

家族としての理解は、もっと個別のことになりますね。

認知症という病を理解しようとする姿勢、とか。

 

一方、

認知症に対する、社会的な愛情と、家族的な愛情。

家族的はわかりますね。

認知症になっても、その家族を愛し続けるという。

 

一方、認知症に対する、社会的な愛情…

なにそれ。

認知症に対する、社会的な愛情って、そんなもんあります???

 

ないです。

定義も謎です。

 

いいえ、作らないといけません。

認知症に対する、社会的な愛情。

 

認知症の人が快く過ごせるには、

それが、不可欠です。

 

愛情とは、寛容です。許す。

 

家族的な愛情は、家族が認知症になっても、許し、愛す。

社会的な愛情は、誰か認知症になった他人がいたとしても、許すことなんじゃないでしょうか。

あの人は、認知症だから、仕方ない、許そう。って。

 

認知症に対する、理解と愛情。

 

この二つが合わさって初めて、受け入れられるのです。

家族において、受け入れられているパターンは、この二つが揃っています。

 

社会も同じです。理解と愛情(許し)。

 

この、認知症の部分を障害者に当てはめて考えてみて下さい。

 

これらを社会に拡げる事で、こんな事件は防げるのではないでしょうか。

 

話がそれましたが、

 

つまり、この事件によって

私は、社会の障害者に対する無理解と愛情の無さが露呈したように思ったのです。

 

そしてそれは、全ての社会的弱者を脅かす警鐘に思えてならないのです。

 

 

今後、こんな事件が起きないことを祈ります。。。

 

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病んでるという言葉の圧倒的な軽さ。

若者批判ではない。

私だってよく使う。

 

私、病んでますって、

よく、ネットでみるけど、その病みはどの程度だい?

 

今の人は病むって言葉を簡単に使いすぎてるんじゃないかな?

では、どういった意味合いでつかってるか?

彼氏に振られて病んでますとか。

友達と喧嘩して病むとか。

なんかそんなん。

 

んで、ちょっとしたら治るの。

 

本当に病んだら、そんな風に治らんよ。

それは、ただ落ち込んでるだけ。

病んでるっていうか、激しく落ち込んでる。

気持ちが暗くなったらすぐ鬱だ死のうっていう人と同じ。

 

病んでて、手首切ったりなんかしてる人いる。

 

それは、、

 

ホントに病んでます。

 

病院行ってお薬飲みましょうレベル。

 

何が言いたいかっていうと、

 

ファッションメンヘラとかいう言葉があるじゃないですか。

 

ホントに病んでて、苦しくてネットで吐き出してたらファッションメンヘラ扱いされたら溜まったもんじゃないだろーなって。

ちな、想像で言ってます。

 

こっちはマジで、真剣に病んでるんだ。

病みたくて病んでるんじゃない。

止められるなら止めたいが性格みたいなもんでなかなか治らない。

それだけなのに。

 

ていうかファッションメンヘラって言葉がよくない。

 

だって、病むまでいかなくて、落ち込んでるだけで吐き出したい人って確実にいるじゃないですか。

 

その人だって、絶対そこしか吐き出せる場所ないんですよ。

 

だから吐いてるのに、ファッション扱いされては嫌だよね。

 

病んでるアピールしてる人はみんな苦しいの。

 

 

だからファッションでメンがヘラってるなんて言わないで下さいな。

 

 

と、思いました。

 

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介護と世間の風

多くは言わないけど、介護系の人の態度にずっと齟齬を感じてて、それが今日、明確になった気がして。

 

介護士って何する人だ?

主に老人の介護だ。

 

介護士の主な仕事とは?

認知症を専門として理解し、その行動原理をも理解、それにより認知症の方のケアを行う。

さらには、認知症になった精神疾患のある患者のケアも行う職業であり、精神疾患には一定の理解が求められる。

というか、理解してしかるべき職だ。

 

実際、認知症への理解は頭が下がる。

更に、認知症と、精神疾患のある高齢者にも理解のある態度ケアをしている。

 

理解のある。

 

高齢者に対しては。

 

 

いっぽう、介護士もピンキリである。

介護士にも精神疾患のある人はいるし、もってなくても、コミュニケーションに問題があるような人はよくいる。

 

そんな人は、介護士の間で毛嫌いされるのである。

 

何故か。

 

つーかなんでだ。

 

高齢者へは、あれだけの心配りが出来て、理解があるのに、なんで同じ職場の仲間である方のそーゆー点は看過できないのか。

というか、看過しないどころか、言外に迫害するのである。

何故か。

 

だから何でだ。

ずーーーーっと疑問だった。

 

 

でも今日解決を見た。

 

何故か。

 

やっぱり、仕事は仕事なのだ。

高齢者のケアは、精神疾患があろうと、行うのは仕事なのだ。

仕事で、仕方なくしているのだ。

 

同じ仲間としての精神疾患は、他の職場と同じく、ただただ迷惑なだけなのだ。

 

なんで迷惑かって言うと、

その病気を、精神疾患を良く知るが故に、その病気のよくないところもよーーーく知っていて、だからこそ、厄介だと、そう判断するのだ。

 

 

つまり、精神疾患を持つ人に対して、やっぱり世間の人は優しくない。

 

世間の風。キビシー。

 

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負の連鎖

悪くなる時は、ケチのつけ始めみたいなきっかけがあるのである。

今回のケチのつき始めは結婚を親族に反対されたこと。

ショックやったし、そもそもその人は結婚を望んでいるようだったので、Wショック。

相手が気に入らなかったようであるも、、

結婚するなら縁切るとまで言われればなんか。。。

 

なんかもう、意気消沈なのです。

 

そして、仕事行っても、誰かに話しかける気にはならないのです。

そんで、孤立していく感じがして、なんか不安になって、私の言動が悪く取られている気がするのです。

 

いかんなぁ。。。

 

悪いループだ。

 

 

 

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